新聞すら読めなかった
20代の頃・・・

 
「かぶ」と読んでも漬け物の「カブ」しかイメージのなかった20代の頃。経済や金融という言葉とは無縁の世界にいました。ただ純粋に、世の中にはどうしてお金に裕福な人と、そうでない人に分かれてしまうのか素朴に疑問を抱くようになり、この日から、お金のことをもっと知りたい!と興味を持ち始めたのがきっかけでした。そして、お金は特別な難しい学問のようなものでなく、日常の中に当たり前に溶け込んでいる空気のようなものだと気づきます。元ミュージシャン。音楽ばかりに明け暮れて、お金オンチな頃があったからこそ、今日の気づきがあるんだと思っています。 
 

ファイナンシャルプランナー織田昌典
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プロフィール

 
「かぶ」と読んでも漬け物の「カブ」しかイメージのなかった20代の頃。経済や金融という言葉に、これっぽっちも興味がありませんでした。
 
ただ純粋に、世の中にはどうしてお金に裕福な人と、そうでない人に分かれてしまうのか素朴に疑問を抱くようになり、お金は難しい学問のようなものでなく、日常の中に当たり前に溶け込んでいる空気のようなものだと気づきます。この日から、お金のことをもっと知りたい!と興味を持ち始めたのがきっかけでした。
 
元ミュージシャン。音楽ばかりに明け暮れて、経済オンチな頃があったからこそ、今日の気づきがあるんだと思っています。
 

ファイナンシャルプランナー
織田昌典
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新聞を読んでも
理解できなかった頃

 生まれも育ちも名古屋。テレビ世代とネット世代の挟間に生きる団塊ジュニア。そして、社会に放出されたと同時に氷河期を迎えた氷河期世代。子供の頃の夢は画家かアナウンサー。しかし、中学2年生の時、たまたま国語の試験にでた論文問題(環境破壊について)に書かれた内容に衝撃を受けて、 化学者になって世界を救いたい!などという勘違いをする。その勘違いはやがて大学時代へと引き継がれ、農学部農芸化学科に入学。環境化学を中心に専攻。

 
 しかし、当時やっていたバンド活動や、R&B・テクノ・ハウス系のクラブミュージックなど音楽活動に興味を引っ張られ、作曲、トラック・メイクにはまる。音を寄せ集めて作ったアマチュアまるだしのデモテープが完成し、レコード会社に送ったところ某大手レーベルから2日後に電話が鳴る。ここでまた勘違いが始まり、化学の道から、今度はミュージシャンという全く畑違いな道を歩むことになる。こうして、泥沼の2年間を過ごすことになる。

FP資格との出会い

 音楽活動に限界を感じ始めていた2000年。お金に苦しむ自分に疑問を感じていたその頃。世界を賑わしたITバブルをきっかけに、今まで全く関心のなかった経済とITの世界に興味を持つようになる。しかし、右も左もわからない。そこで当時、経営者であった叔父を訪ね、経済の本質を学ぶようになる。あまりの面白さと興奮で、人生が変わる。2002年に未知なる世界「ネット証券」に口座を開き、株の取引を始めたことですべてが始まりました。ワクワクの止まらないスタートでした。
 
 しかし、時は2002年。日本経済は静かに暴落へと向かう途中でした。買った翌日から、どんどん株価が下がり始める。自分が買えば下がり、売れば上がる。まさに典型的に資産を失うスパイラルに陥り、やがて資産は底をつく。これはマズイ!と思い、何を間違えたのか社会保険労務士の勉強を始める。しかし、半年ほど勉強したところで何か違うと気が付く。次に手にしたのがファイナンシャルプラニング技能士3級の教科書。これだ!と思いました。なんといっても、どのページを開いてもお金のことしか書いていない!こんな教科書があったのか!と。しかも浮いたお金の話ではなく、身の周りの生活に関わるお金の話ばかりです。読むだけでお金に苦しんでいた謎が解けていくような心地の良さで、とにかくこの知識に出会えたことが嬉しかった。ミュージシャン上がりの自分には資格の教科書というより人生の教科書のように思えたものです。この時の衝撃は一生忘れることがないでしょう。
 
 その日から歩く教科書になろう!と思い立ち、勉強にのめり込んでいきました。勉強が進むとともに、株式の成績も向上し、信用取引、オプション取引、ワラント、FXなど、先物を除くほとんどに手を伸ばし、ハイリスク・ハイリターンは当たり前、時にはジェットコースター(資産が増えたり減ったりする時の表現の1つ)を何度も乗り超え、眠れない夜を幾度となく過ごしながらも、約3年間で資産は40倍まで増大。自分を神かと勘違いする。(ハイリスク・ハイリターンを狙っている時点でFPの路線から相当ズレている気もしていたが、、、)
 
 その後、ファイナンシャルプラニングをさらに学ぶために専門学校に通いながら、地元の独立系ファイナンシャルプランナー事務所に所属し、半年ほど修行する。2005年にファイナンシャルプランナー(AFP)資格取得。しかし間もなく、ライブドア事件が起こり、40倍に膨れ上がった資産は再び奈落の底へ。己の愚かさと無力さを知る。1週間ほど放心状態。しかし、ここでお金だけが全てではないというFPとして最も大切にしなくてはならないことを学ぶ。今になって思えば、とても感謝すべき反面教師でした。その後、ファイナンシャルプランナー資格CFP®︎、1級ファイナンシャルプランニング技能士を取得し、2006年に「難しいことをわかりやすく」を理念に事務所を開設。かつての音楽時代の自分がそうであったように、ただ金融や経済を学ぶ機会や縁にめぐまれなかっただけで「お金オンチ」になっている人にこそ、お金の知識を届けたら、きっと人生が変わるお手伝いができると思い、業務をスタートする。しかし、仕事をはじめて間もなく保険分野が苦手なことに気づき「これはいかん」と思い、修行のため某保険代理店にて約2年半の実務経験を積みにいく。その後、2008年よりフィーを主としたFPサービスを確立し、軌道に乗せる。

織田プロダクション設立

FPソーシャルメディア「FP-RECO」の正式メンバーにも参画

 
 2006年の起業当初から、ずっと作りたかった念願のWEBサイトが2009年にようやく完成。作ろうと思い立ってから実に3年の歳月が経っていました。小さな事務所とはいえ、事業を営むことの難しさと、わからないことだらけの中の暗中模索が続きます。しかし、WEBサイトができてからは、インターネットからのご相談依頼が少しずつ増えはじめ、地味ではあるもののコツコツと実績を積めるようになっていきます。月に1回~2回程度セミナーや勉強会を開催しつつ、地元名古屋で一歩一歩前進しようと。やがて証券会社をはじめ、地元の金融業界の方々とも繋がりが持てるようになる。そんな日々が2年ほど続いた2011年のある日、一本の電話が鳴ったことで、再び転機を迎えることになる。その電話が開業以来初めてやってきた「教えてください!」というものでした。当時の織田の事務所で電話が鳴るといえば、9割が広告やSEO対策関連。残りの1割がご相談といった比率でした。そこに割って入るように「教えてください」と現れたのです。これには正直、驚きました。ちょうど6年目を迎えた頃でした。
 
 
織田:「教える、、、といいますと、何をですか?」
電話:「私は今、証券会社に勤めている者ですが、近い将来独立して、織田先生みたいに純粋なファイナンシャルプランナーになりたいんです!」
 
 
と。まるで受話器から飛び出て来そうなほどの勢いと気迫だったのを覚えています。そう語る彼こそが後々、FPアバンダンス(FP投資助言業)を設立することになる中島隆です。当時、24歳。織田にとっては、初めて訪れた「教える」という教育への戸惑いと、理解に苦しんだ初めての教え子となります。というのも、なぜ織田なのか?ということが理解できなかったのです。金融業界出身でもなければ、ましてや元ミュージシャンである織田が、証券マンである彼に何を教えられると言うのだろう?そんな戸惑いがありつつも彼に一から教えていくと、不思議なもので志願するメンバーが次々と集まり出しました。また、同時期に名古屋証券取引所から連絡があり、年に1回開催されるビッグイベント「名証IRエキスポ2012」イベントに協力してくれないかというお話がやってきます。もうここまで来ると、一人静かに淡々と業務していたことから一転して、頭を切り替えるべくタイミングがやってきました。この急展開を迎えた頃、メンバーは5名ほどになり「お金の啓蒙活動をする団体」を作った方がいいんじゃないかという話になる。2012年夏、こうして織田プロダクション(まもなく再開!)が誕生しました。
 

 
 
 さらに、同時期に織田にとってのFP師匠にあたる(株)マネーライフナビ(現金融デザイン株式会社)の石川代表から「ご当地FPが集まることで生まれるソーシャルメディア(FP-RECO)を作ろうと思うのだけど、織田さん手伝ってくれない?」と話をもちかけられ、今度は全国展開で情報発信を手がけるソーシャルメディアを作る一員になるという、頭が追いつかない状況になります。そこには織田にとっては、FP業界の雲のような存在であった高田晶子氏吹田朝子氏が名を連ねていました。あまりの急変ぶりに頭と体がついていかず、この時、軽く倒れる(笑)少し休憩しようと、一週間ほど沖縄で何もしない、ただ海に浮かんで空を眺める日々を過ごします。一週間ほど何もしない生活を送ると、今度は自然と何かをやりたくなるもので、沖縄から戻ると業務を再開。ここから織田プロダクションとして、セミナー開催やイベントなど、お金の啓蒙活動の日々が始まりました。(過去の実績一部

織田プロダクションから
デザインが生まれる

 
 織田プロダクションがスタートしてからは、自主開催セミナー(つみたて塾など)だけでなく、金融機関のトップをお招きしてのコラボセミナーや、住宅金融支援機構とのフラット35セミナー、大学・高校などの教育機関、市区町村の生涯学習セミナーなど、民間・自治体の垣根を超えて、様々な機関との協業イベントを開催。名証IRエキスポのみならず2012年から約3年間、様々なイベントを手がけていきます。
 
 そんな流れの中で、思いもよらない角度からとある相談が入ってくるようになり、再び転機が訪れます。webサイトやチラシなど、お金や経済の難しい専門知識をファイナンシャルプランナーらしい角度から、わかりやすく表現していることに評価を受け、金融機関からデザイン相談を受けることになったのです。これにはさすがに戸惑いがあり、簡単に引き受けるのも難しいと考えていたのですが、何かのご縁と思い、織田プロダクションの中に新たにデザイン部門を立ち上げる。とはいえ、織田プロダクションはお金の啓蒙活動をする団体。あれもこれもに手をだすのは、わかりづらくなってしまうという背景から、デザイン部門だけを別で立ち上げることで話がまとまる。こうして2014年9月、新たにイノベーティブ・スタジオSHOWCASEが誕生。
 

 
 デザイン業務が始まったことで、一時的に織田プロダクションの活動を休止(また活動再開します)。さすがに一人では無理だと思い、織田プロダクションのメンバーであった盛田司に協力を呼びかけ、まずはデザイナーを探すことから業務を始めることになります。FP活動の他に、まさかまさかの二足のわらじを履くことになるとは、予想もしていなかった人生展開であり、我こそが一番驚いています。(と思いきや、後々になってこのファイナンスとデザインが思いがけない角度から繋がっていくことになります。それはもう少し後の話。)
 
 こうしてイノベーティブ・スタジオという形で立ち上がると、もうここから先は金融業界だけの話ではなくなり、様々な個人事業のブランディングやデザインを手がけるようになっていきました。クライアントさまに事業展開や今後のプランを伺いながら、それに合わせてデザインを製作する。これまた大変に面白い仕事であることに没頭していきます。ところが、ふとした時に、あることに気づく。クライアントさまにとって事業を営むこと、そしてそのプランを立てることは、将来設計のフローを描くことであり、クライアントさまにとっての人生そのものであるということ。すなわち、これまでFP業務で散々表現してきた、
 
 
ライフプランそのものではないか!
 
 
 ということに気づきます。これこそがひょっとしたら、未来のライフデザインの形になるのではないか?もっと言えば、今後、たくさんの大企業が立ち行かなくなった時に、自らの才能を磨き、手に職をつけて自立して稼ぐ時代が、徐々に加速しているのではないか?そんなことに意識が向かった矢先の2016年春。ある書籍を読んだことで、頭の中に激震が走ります。それがフィンテックと呼ばれる、ファイナンスとテクノロジーの融合から生まれたカテゴリーの内容のものでした。
 
 アップルやGoogleがどうして「エコシステム」と連呼するようになったのか!?IT会社が、どうしてApple Payなど決済システムを手がけるようになったのか!?そこには、これからのお金や経済の歴史が変わることや、つまりは人間の仕事や働き方、もっといえば生き方そのものに大きな変化が訪れるというものが描かれていました。これは、とんでもないことが起きてると、頭がパニック。まさに理解を超えた世界を見せられた瞬間でした。

金融デザイン株式会社
正式メンバーに

 
 「ただ事ではないことが起きてるぞ!」と。これまで常識とされてきた経済の基盤とは、全く世界の異なる大きなうねりを見せられた瞬間でした。この日から猛烈にフィンテックにのめり込み、勉強を始めます。この10年間で味わったことのないほど、もう一回、一から経済の根本を勉強し直す必要があると感じ、2016年は開業以来もっとも勉強する一年間となります。そして、もともと週1レベルで量販店に足を運ぶほど大好きなテクノロジー分野と、お金という価値交換のあり方が一つになっていく流れに、かつてないほどの興奮を覚えます。
 
 

専門用語に変化が訪れる

 
 その最たるものが、まずはキーワードの変化です。かつての金融ワードは、株式・債券・為替の3大市場を基軸に、お金というテーマから、大きく外れることなく生まれたものでした。ファイナンスという表現の奥には、必ずマーケットの存在があり、相対性をもって価値をはかるという「経済の基軸」が現代も動いています。織田がFPの教科書で学んだ頃、その数々の専門用語も、すべて金融ワードでした。しかし、ここ2~3年で急激に変化が訪れているのです。
 
・人工知能(AI)
・API
・暗号通貨
・Peer to Peer(P2P)
・ブロックチェーン

 などなど、得体の知れない横文字が、金融業界を賑わすようになり、これらがこの先10年の歴史を、大きく塗り変えるであろう可能性まで示唆されるようになりました。もっと言えば、これらの言葉はあらゆるインフラの「経済の基軸」そのものに、取って代わるかもしれないとさえ感じるほど。
 
 

点と点が線になる
デザイン・シンキング
「デザイン的思考」

 
 そして、最先端シリコンバレーのビジネスマンの間で、今やMBA、財務・会計と並び、爆発的に広がりを見せているのが「デザイン・シンキング(デザイン的思考)」と言われるものであることを知ります。世の中の秩序をいかに作っていくか?多くの問題解決となる道筋をいかに立てるか?といった「デザイン(設計)」の思考です。このような内容が書かれた書籍や記事が次々と目の前に訪れた頃、はっと気づきます。「そうか!だからSHOWCASEという導きがあったのか!」と。織田プロダクションからの流れの中で生まれたデザインであったとはいえ、どうして二足のわらじを履くことになったのか我ながら理解ができなかったことが、ここに来て点と点が線で繋がった瞬間でした。
 
 

金融デザイン株式会社の発足

 

金融デザインWEBサイト
 

 この気づきに椅子から転げ落ち、何も考えず、とにかく師匠である(株)マネーライフナビ(現金融デザイン株式会社)の石川代表と話をしに東京へ飛ぶ。こんな常識外れな話を、まともに話せるのは彼しかいないと思ったからです。これまでの経緯を説明し、今後の取り組みをもう一度、洗い直してスタートさせようという思いをぶつけると、なんということでしょう!シンクロニシティというのか、実は石川代表も同じタイミングで同じことを考えていたことが判明!この時の感触は、偶然という言葉で片付けるには無理があるほどの電気が走る心地でした。こうして、志を同じくするメンバーが集まり金融デザイン株式会社が発足。ディレクター・デザイナーとして正式メンバーに。
 
 

FPの役割とは?
ひとりひとりの価値創造
パラレルキャリア
100年ライフ

 
 新しい波がやってくる。そう未来のお金の時代が薄っすらと見えた時、人が「働く」とはどういうことか?「お金」の役割はどうなっていくのか?「生きる」とはどういうことなのか?これらが、実にシンプルな答えとなって訪れます。それは純粋に、人が生まれながらにして持つ才能に、それぞれが気づきを覚える時代になり、価値を生み出すことや開花させること、そして、それを求める人同士が純粋にやり取りするようになるのではないか。もっと言えば、これらの働き方を複数もちながら、働き方にこそポートフォリオという考え方を持つパラレルキャリア(ピータードラッカーさんが提唱した21世紀型の新しい働き方)が現実を帯びて、そして、それがそのまま、今でいうところのライフプラン(将来は別のネーミングの可能性大)の姿になっていくのではないかと。そして、近年、政府をはじめ話題とする寿命100年時代に突入するという新たな生き方のテーマのもと、今後ますます「自分発見」「自己実現」を目標とする「人生にテーマを持つこと」が大切になるということ。
 
 そう思えた時から、ファイナンシャルプランナーである自分の役割がはっきりしてきました。こうして新たに、4度目となるWEBサイトのリニューアルを行う。新しい役割の幕開けです。「ようこそ新しい自分」という初心に戻って、今後も取り組んで参ります!これからも、よろしくお願いいたします。

2017年4月 
 

保有資格

1級ファイナンシャルプラニング技能士
日本FP協会会員 CFP®︎
CFP(R)ロゴ
愛知支部所属 J-90168701