大学にはいるとバンド活動(ビートルズバンドをやっていました)や、時のブームとして日本にやってきたR&B・ハウスなどのダンスミュージックの音楽カルチャーに興味をもち、楽曲制作、音楽ソフトをつかったデジタル音楽にはまっていきます。音を寄せ集めてつくったアマチュア感満載のデモテープが完成し、レコード会社に送ったところ不思議なことに某大手レーベルから電話が鳴る。ここでまた勘違いが始まり、化学の道から、今度はミュージシャンという全く畑違いな道を歩むことになる。大学卒業後、泥沼の2年間を過ごすことになります。
この頃、「社会人になったら新聞を読みなさい」と言われても、まったくしっくり来ない、じぶんには関係ないとさえ思っていた時期でした。読んでも理解できないので、頭に入ってこないのです。それより音楽に囲まれた人生を歩みたいと夢を描いていました。
そんな音楽活動も2000年に限界を感じるようになります。なんだかしっくり来なくなったのです。そしてちょうどその頃、世界はITバブルで熱狂する世の中でした。まったく無縁だった自分にもその情報が入ってくるくらいでしたから相当なインパクトだったのだろうと思います。こうして今まで全く関心のなかった経済とITの世界に興味を持つようになってきます。しかし、新聞も読めないほど無知だった自分。なにから始めて良いのかわからず、当時、経営者であった叔父を訪ね、ITバブルで熱狂する世の中のことを教えてもらいました。あまりの面白さと興奮で、人生が変わる心地でした。この時、人生ではじめて新聞というものを理解できて、文章が頭に入ってきたのを覚えています。
なんというおもしろい読み物よ!新聞を読むことがあまりに楽しくなってきて、記事だけでなく隅々まで。さらに毎日公表される株価をずらりと見ていくうちに、うずうずが止まらなくなりました。こうして2002年に未知なる世界「ネット証券」に口座を開き、株式取引を始めます。27歳、ワクワクの止まらないスタートでした。
とはいえ、タイミングが2002年。日本経済は底値へと向かう途中でした。買った翌日から、どんどん株価が下がり始める。焦ります。自分が買えば下がり、売れば上がるのです。なんという典型的に資産を失っていくスパイラル。やがてわずかながらの資産も底をつく。これは勉強が必要だと思い、何を間違えたのか社会保険労務士の勉強を始める。しかし、半年ほど勉強したところで何かが違うと気がつきます。次に手にしたのがファイナンシャルプラニング技能士3級の教科書。これだ! と思いました。なんといっても、どのページを開いてもお金のことしか書いていない…こんな教科書が世の中にあったのか! と感動しました。しかも現実離れしたお金の話ではなく、今からすぐに使えるくらしに関わるお金の話ばかりです。これは読むだけで栄養素になるビタミンのような心地。お金に苦しんでいた頃の謎が解けていくような爽快さで、とにかくこの知識に出会えたことが嬉しかったです。ミュージシャン出身の自分には資格の教科書というより、人生の教科書のようにも思えました。この時の衝撃は一生忘れることがないでしょう。
その日から歩く教科書になろう! と思い立ち、勉強にはまっていきました。内容が進むとともに、株式取引の成績も向上し、信用取引、オプション取引、ワラント、FXなど、先物を除くほとんどに手を伸ばし、ハイリスク・ハイリターンにも向き合い、時にはジェットコースター(資産が増えたり減ったりする時の表現の1つ)を何度も乗りこえ、眠れない夜を幾度となく過ごしながらも、約3年間で資産は40倍まで増えました。世界のお金の流れが見えてくることに、ますます興奮を覚えました。
その後、ファイナンシャルプラニングをさらに学ぶために専門学校に通いながら、資格勉強も兼ねて地元の独立系ファイナンシャルプランナー事務所に所属し、半年ほど修行する。2005年にファイナンシャルプランナー(AFP)資格取得。しかし間もなく、ライブドア事件が起こり、40倍に膨れ上がった資産はリセットされる。1週間ほど放心状態。しかし、ここでお金の教養ともいうべきFPとして最も大切にしなくてはならないことを学ぶ。今になって思えば、とても感謝すべき反面教師でした。その後、ファイナンシャルプランナー資格CFP®︎、1級ファイナンシャル・プランニング技能士を取得し、2006年に「難しいことをわかりやすく」をコンセプトにスタート。かつての音楽時代の自分がそうであったように、お金のことを学ぶ機会や縁がなかっただけで「お金のことをよくしたい!」と思う人に、そのおもしろさや知識を届けたらと思い、FPオフィスを設立する。しかし、仕事をはじめて間もなく保険分野が苦手なことに気づき、修行のため某保険代理店にて約2年半の実務経験を積む。その後、2008年よりお金教育(セミナー・個人レッスン・グループレッスン・研修)を中心としたサービスをはじめる。
2006年の起業当初から、ずっと作りたかった念願のWEBサイトが2009年にようやく完成。作ろうと思い立ってから実に3年の歳月が経っていました。小さな事務所とはいえ、事業を営むことの難しさと、わからないことだらけの中の暗中模索が続きます。しかし、WEBサイトができてからは、インターネットからのご相談依頼が少しずつ増えはじめ、地味ではあるもののコツコツと実績を積めるようになっていきます。月に1回~2回程度セミナーや勉強会を開催しつつ、地元名古屋で一歩一歩前進しようと。そんな日々が2年ほど続いた2011年のある日、一本の電話が鳴ったことで、再び転機を迎えることになる。その電話が開業以来初めてやってきた「FPになりたいです!教えてください!」というものでした。
初めて訪れた「ファイナンシャルプランナー育成」というこれまでにない相談に戸惑いつつも、FPの実務家育成をはじめることになります。また、同じ時期に名古屋証券取引所から年に1回開催されるビッグイベント「名証IRエキスポ」イベントのお話をいただき、一人静かに淡々と業務していたことから一転して、頭を切り替えるべくタイミングがやってきました。この急展開を迎えた頃、FP仲間は5名ほどになり「お金の教育活動」を始めた方がいいんじゃないかという話になる。2012年夏、こうして仲間とともにチームで活動する織田プロダクション(2015年終了)が誕生しました。音楽でいえば、ソロ活動から、バンド活動へとシフトしていく心地でした。
さらに、同じ時期に織田にとってのFP師匠にあたる(株)マネーライフナビ(現金融デザイン株式会社)の石川代表から「ご当地FPが集まることで生まれるソーシャルメディア(FP-RECO)を作ろうと思うのだけど、一緒にやらない?」と話をもちかけられ、全国展開で情報発信を手がけるソーシャルメディアを作る一員になります。
織田プロダクションがスタートしてからは、自主開催セミナーだけでなく、異業種コラボセミナーや、住宅金融支援機構とのフラット35セミナー、大学・高校などの教育機関、市区町村の生涯学習セミナーなど、民間・自治体の垣根を超えて、様々な機関との協業イベントを開催。名証IRエキスポのみならず2012年からFP仲間とともに約3年間、啓蒙活動に取り組む。>過去の実績
そんな織田プロダクションも2015年で一旦終了し、再び一人業務に戻ります。仲間と目標に向かってバンドのように活動する楽しさがある一方で、個人的な活動として進めたいこともでてきたからです。それが「フィンテック」と呼ばれる新しいデジタル金融の分野です。今ではメディアでも取り上げられるキャッシュレスやAI、ブロックチェーンなど、テクノロジーによって変わっていくお金の未来です。これはもっと知りたい!と興味がわきました。「お金」の役割はどうなっていくのか?「ライフプラン」にどう影響することなのか?これらに向き合いたいと思うタイミングが来ていました。新しいテクノロジーがどんどんやってくる一方で、日本においては少子高齢化や多様な働き方、ダイバーシティ、寿命が100年になるかもしれないという新たなライフデザインが生まれつつありました。今後ますます「自分発見」や「自己実現」など「人生にテーマを持つこと」が大切になるかもしれない。そう思えた時から、ファイナンシャルプランナーである自分の役割がまた見えてきました。こうして新たに4度目となるWEBサイトのリニューアルを行います。「ようこそ新しい自分」という初心に戻ってスタート。現在に至ります。